2025/05/14
日本音楽能力検定協会です。
今回は音階の歴史を深堀りし、ドがAではなくCになった理由を詳しく解説させていただきます。
日本語の「ド(C 音)」が、イタリア語の「Do」に由来し、さらに「Ut」から変化した経緯を整理すると以下のようになります。
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•その旋法/音階を覚えやすくするために、詩篇(聖書の詩編)の歌詞の各句の冒頭音を取って音名とする方式が登場。
•具体的には、6 種類の句の冒頭が「Ut–ré–mi–fa–sol–la」で始まっていました。
•これが今日のド・レ・ミ・ファ・ソ・ラの原型です。
Ut→Ut queant laxis→「あなたがた(主よ)、ゆるやかに」
Re→Resonare fibris→「弦(の声)が鳴り響くように」
Mi→Mira gestorum→「偉大な業を」
Fa→Famuli tuorum→「あなたのしもべたちが」
Sol→Solve polluti→「汚れた(罪)を洗い流し」
La→Labii reatum→「唇の負い目を」
1.歴史的背景
•成立時期:およそ6世紀から9世紀にかけて成立・編纂されたと考えられています。伝承ではローマ教皇グレゴリウス1世(在位590–604年)が体系化した──という「グレゴリウスの編纂説」が有名ですが、実際には長い年月をかけて自然発展的に成立したものです。
•名称の由来:「グレゴリオ聖歌」という名称は、グレゴリウス1世にちなんでいますが、近年の研究では、彼自身が直接まとめたという証拠は乏しく、むしろ後世の編纂者たちによって「権威付け」のために名付けられた可能性が高いとされています。
2.音楽的特徴
•単旋律(モノフォニー):旋律が一線的に歌われ、和声(複数の声部の同時進行)はほとんどありません。
•無拍子:現代音楽のような明確な拍子記号はなく、歌詞のアクセントや語尾の長さにしたがって自由に流れるように演奏されます。
•モード(旋法):8つの教会旋法(ドリア、フリギア、リディア、ミクソリディアなど)によって構成され、それぞれに独特の音階的特徴があります。
•ラテン語の歌詞:典礼文(聖書の詩編、祈祷文など)をラテン語で歌うのが基本です。
3.形式
グレゴリオ聖歌は役割や歌われる場面によってさまざまな形式があります。代表的なものをいくつか挙げます。
イントロイトゥス(入祭唱)・・・ミサの開始時に歌われる。詩編の一節と「Alleluia」などから成る。
グラデュアーレ(逐次唱)・・・応答唱形式。ソリストと合唱が交互に歌う形をとる。
アレルヤ・・・詩編の一区と「Alleluia」句の組み合わせ。復活祭期などによく使われる。
オスティナート・・・同じ旋律を繰り返す形式(例:聖体拝領唱など)。
カンタータ・・・節ごとに異なる旋律をもつ、より複雑な形態。
4.楽譜表記
• ネウマ譜:現在の五線譜とは異なり、音の高さや長さを示すための記号(ネウマ)が用いられました。初期は高さのみ、後期には縦軸での高さ関係や長さを示す四線譜(ギイユム譜)が発達しました。
5.影響と現代への継承
• 中世以降の多声音楽(ポリフォニー)の基礎を築き、ルネサンス期にはパレストリーナらの作品に発展的に受け継がれました。
• 19世紀後半から20世紀にかけて、ソルフェージュ教育や典礼復興運動の一環として再評価され、現在も教会やコンサートで演奏されています。
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•“Ut” は子音で終わるため、歌唱時に母音を伸ばしにくい。歌うときは「ウート」となり、音が詰まりがちでした。
•そこで、母音「o」で終わる方が息の流れがスムーズで、旋律を歌いやすいという理由で、“Ut” が “Do” に改められました。
2.提唱者:ガルレアーノ(Guido d’Arezzo)以降
•11世紀初頭、修道士ガイド・ダレッツォ(Guido d’Arezzo)が音楽教育を革新。
•その後の17–18世紀あたりから、イタリア語圏で “Ut” → “Do” の表記・発音が徐々に定着しました。
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•この対応は、C が「ハ長調」(C major)のトニック(基本音)であることから、
•イタリア語の音名 “Do” が「C」の音高を指すように結びつきました。
•つまり、「C=Do」は、ハ長調の基準音を表すアルファベット表記と、教会旋法由来の音名が一致した結果です。
2.“Ut” は歌いにくいため、母音「o」で終わる “Do” に改称。
3.西洋音楽のアルファベット表記で、ハ長調の基準音 C と “Do” が対応した。
こうした歴史的・実用的な経緯を通じて、「ド(Do)」は「C」の音を指すようになったのです。
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•古代ローマ時代には、ギリシャ音楽理論を継承しつつ、ピタゴラス音律やディアトニック音階が用いられていました。
•しかし西ローマ帝国の崩壊後、都市文化が衰退し、音楽理論も断片的にしか伝承されていませんでした。
2.聖歌の口伝伝承
•初期キリスト教共同体では、聖歌は文字よりも口伝で伝えられ、旋律記譜法も未整備でした。
•9世紀ごろまでに「ネウマ譜」と呼ばれる符頭だけの簡易記譜が登場しますが、音高の正確な指示はまだ不十分でした。
•11世紀初頭、ベネディクト会の修道士グイド・ダレッツォ(Guido d’Arezzo, 約991–1033年)が、聖歌の教育を飛躍的に効率化する方法を考案。
•彼は「Ut–Ré–Mi–Fa–Sol–La」の6音を基盤とするヘックスハルモニア(六音体系)を提唱し、音程間隔を明確化した六度関係の理論をまとめた。
2.四線譜の発明
•従来のネウマ譜を改良し、位置によって音程を示す「四線譜」を導入。最終的に五線譜へと発展する礎となった。
•これにより、聖歌の旋律をより正確に後世に伝えられるようになった。
3.音名の文字化
•グイドは音名に対応させた手振り(ガイディング・ハンド)も考案し、視覚的・体感的に音程を把握する方法を普及させた。
•ただし彼の原案では音名はラテン語の「Ut–Ré–Mi–Fa–Sol–La」で、まだ “Do” ではありません。
•フランスでは、“Ut” の代わりに “Ut” を “Do” と置き換えた『ソルフェージュ唱法』(Robert de Pearsall ら)も試みられました。
•ただし当時はまだ “Ut” と “Do” が混在して使われ、統一には時間を要しました。
2.イタリアでの完全移行
•18世紀に入ると、イタリア音楽院や音楽学校で “Do–Ré–Mi–Fa–Sol–La–Si” の7音階表記が標準化。
•“Si” はさらに、「Sancte Ioannes(聖ヨハネ)」の頭文字 “S” と “I” を取って作られたとされ、これにより完全な7音階が整備されました。
3.「Si」から「Ti」への変化(英語圏)
•英語圏では、19世紀に “Si” を “Ti” と変えた「ティ式唱法(Movable Do)」が普及。
•日本でも近代以降、西洋音楽教育の影響で「ド・レ・ミ…」とともに「シ」の音名が定着しています。
•西洋の理論書では中世から、トニックをアルファベット大文字(A–G)で示す方法がありました。
•これにより、C–D–E–F–G–A–B の順で音高を示すことが広まりました。
2. ハ長調(C Major)と Do の一致
•ヘックスハルモニアはもともと6音体系でしたが、7音を扱うモダンなダイアトニック音階(長調・短調)が普及。
•長調の基本形としてハ長調(C Major)が最も基本的とされ、その基本音 C が “Do” に対応付けられました。
3.移動ド vs 固定ド
•日本やイタリアなど大陸ヨーロッパでは「固定ド(Fixed Do)」が一般的で、“Do=C” として扱う。
•英米圏では「移動ド(Movable Do)」が多く、“Do” は常に音階の主音を指す概念として用いる。
•教育的要因:グイド・ダレッツォの六音節法、四線譜、ソルフェージュ唱法の展開。
•理論的要因:固定ド(C=Do)と移動ドの対立・併存。
•文化的要因:国ごとの音楽教育法の影響と普及。
これらの要素が重なりあい、西洋音楽の「ド」は最終的にアルファベットの “C” として定着しました。
専門的な話が続きましたが、以上がドがCになった理由として主に語り継がれています。
他にも諸説ありますが、まとめると「その方が都合が良かった」という点に尽きます。
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今回は音階の歴史を深堀りし、ドがAではなくCになった理由を詳しく解説させていただきます。
日本語の「ド(C 音)」が、イタリア語の「Do」に由来し、さらに「Ut」から変化した経緯を整理すると以下のようになります。
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1.古代の聖歌(グレゴリオ聖歌)と最初の音名
•中世ヨーロッパでグレゴリオ聖歌を体系化した際、旋法(モード)という考え方がありました。•その旋法/音階を覚えやすくするために、詩篇(聖書の詩編)の歌詞の各句の冒頭音を取って音名とする方式が登場。
•具体的には、6 種類の句の冒頭が「Ut–ré–mi–fa–sol–la」で始まっていました。
•これが今日のド・レ・ミ・ファ・ソ・ラの原型です。
Ut→Ut queant laxis→「あなたがた(主よ)、ゆるやかに」
Re→Resonare fibris→「弦(の声)が鳴り響くように」
Mi→Mira gestorum→「偉大な業を」
Fa→Famuli tuorum→「あなたのしもべたちが」
Sol→Solve polluti→「汚れた(罪)を洗い流し」
La→Labii reatum→「唇の負い目を」
※グレゴリオ聖歌とは?
グレゴリオ聖歌(Gregorian Chant)は、西洋音楽における最も古い形式の教会旋律のひとつで、主にカトリック教会の典礼(ミサや日課聖務日課)で用いられてきました。以下、主な特徴と歴史的背景をまとめます。1.歴史的背景
•成立時期:およそ6世紀から9世紀にかけて成立・編纂されたと考えられています。伝承ではローマ教皇グレゴリウス1世(在位590–604年)が体系化した──という「グレゴリウスの編纂説」が有名ですが、実際には長い年月をかけて自然発展的に成立したものです。
•名称の由来:「グレゴリオ聖歌」という名称は、グレゴリウス1世にちなんでいますが、近年の研究では、彼自身が直接まとめたという証拠は乏しく、むしろ後世の編纂者たちによって「権威付け」のために名付けられた可能性が高いとされています。
2.音楽的特徴
•単旋律(モノフォニー):旋律が一線的に歌われ、和声(複数の声部の同時進行)はほとんどありません。
•無拍子:現代音楽のような明確な拍子記号はなく、歌詞のアクセントや語尾の長さにしたがって自由に流れるように演奏されます。
•モード(旋法):8つの教会旋法(ドリア、フリギア、リディア、ミクソリディアなど)によって構成され、それぞれに独特の音階的特徴があります。
•ラテン語の歌詞:典礼文(聖書の詩編、祈祷文など)をラテン語で歌うのが基本です。
3.形式
グレゴリオ聖歌は役割や歌われる場面によってさまざまな形式があります。代表的なものをいくつか挙げます。
イントロイトゥス(入祭唱)・・・ミサの開始時に歌われる。詩編の一節と「Alleluia」などから成る。
グラデュアーレ(逐次唱)・・・応答唱形式。ソリストと合唱が交互に歌う形をとる。
アレルヤ・・・詩編の一区と「Alleluia」句の組み合わせ。復活祭期などによく使われる。
オスティナート・・・同じ旋律を繰り返す形式(例:聖体拝領唱など)。
カンタータ・・・節ごとに異なる旋律をもつ、より複雑な形態。
4.楽譜表記
• ネウマ譜:現在の五線譜とは異なり、音の高さや長さを示すための記号(ネウマ)が用いられました。初期は高さのみ、後期には縦軸での高さ関係や長さを示す四線譜(ギイユム譜)が発達しました。
5.影響と現代への継承
• 中世以降の多声音楽(ポリフォニー)の基礎を築き、ルネサンス期にはパレストリーナらの作品に発展的に受け継がれました。
• 19世紀後半から20世紀にかけて、ソルフェージュ教育や典礼復興運動の一環として再評価され、現在も教会やコンサートで演奏されています。
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2.“Ut” が “Do” になった理由
1.発音のしやすさ•“Ut” は子音で終わるため、歌唱時に母音を伸ばしにくい。歌うときは「ウート」となり、音が詰まりがちでした。
•そこで、母音「o」で終わる方が息の流れがスムーズで、旋律を歌いやすいという理由で、“Ut” が “Do” に改められました。
2.提唱者:ガルレアーノ(Guido d’Arezzo)以降
•11世紀初頭、修道士ガイド・ダレッツォ(Guido d’Arezzo)が音楽教育を革新。
•その後の17–18世紀あたりから、イタリア語圏で “Ut” → “Do” の表記・発音が徐々に定着しました。
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3.なぜ “Do” が “C” に対応するのか
•クラシック音楽(西洋音楽)の一般的な音高表示では、C–D–E–F–G–A–B のアルファベットを用います。•この対応は、C が「ハ長調」(C major)のトニック(基本音)であることから、
•イタリア語の音名 “Do” が「C」の音高を指すように結びつきました。
•つまり、「C=Do」は、ハ長調の基準音を表すアルファベット表記と、教会旋法由来の音名が一致した結果です。
まとめ
1.中世の聖歌暗誦法で「Ut–Ré–Mi–Fa–Sol–La」と名付けられた。2.“Ut” は歌いにくいため、母音「o」で終わる “Do” に改称。
3.西洋音楽のアルファベット表記で、ハ長調の基準音 C と “Do” が対応した。
こうした歴史的・実用的な経緯を通じて、「ド(Do)」は「C」の音を指すようになったのです。
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より詳しい解説
1.グイド・ダレッツォ以前の音名法
1.古ローマ期~初期中世の音律•古代ローマ時代には、ギリシャ音楽理論を継承しつつ、ピタゴラス音律やディアトニック音階が用いられていました。
•しかし西ローマ帝国の崩壊後、都市文化が衰退し、音楽理論も断片的にしか伝承されていませんでした。
2.聖歌の口伝伝承
•初期キリスト教共同体では、聖歌は文字よりも口伝で伝えられ、旋律記譜法も未整備でした。
•9世紀ごろまでに「ネウマ譜」と呼ばれる符頭だけの簡易記譜が登場しますが、音高の正確な指示はまだ不十分でした。
2.グイド・ダレッツォの革新
1.六音節法(ヘックスハルモニア)•11世紀初頭、ベネディクト会の修道士グイド・ダレッツォ(Guido d’Arezzo, 約991–1033年)が、聖歌の教育を飛躍的に効率化する方法を考案。
•彼は「Ut–Ré–Mi–Fa–Sol–La」の6音を基盤とするヘックスハルモニア(六音体系)を提唱し、音程間隔を明確化した六度関係の理論をまとめた。
2.四線譜の発明
•従来のネウマ譜を改良し、位置によって音程を示す「四線譜」を導入。最終的に五線譜へと発展する礎となった。
•これにより、聖歌の旋律をより正確に後世に伝えられるようになった。
3.音名の文字化
•グイドは音名に対応させた手振り(ガイディング・ハンド)も考案し、視覚的・体感的に音程を把握する方法を普及させた。
•ただし彼の原案では音名はラテン語の「Ut–Ré–Mi–Fa–Sol–La」で、まだ “Do” ではありません。
3.“Ut”→“Do” の定着プロセス
1.17世紀フランスの改革試み•フランスでは、“Ut” の代わりに “Ut” を “Do” と置き換えた『ソルフェージュ唱法』(Robert de Pearsall ら)も試みられました。
•ただし当時はまだ “Ut” と “Do” が混在して使われ、統一には時間を要しました。
2.イタリアでの完全移行
•18世紀に入ると、イタリア音楽院や音楽学校で “Do–Ré–Mi–Fa–Sol–La–Si” の7音階表記が標準化。
•“Si” はさらに、「Sancte Ioannes(聖ヨハネ)」の頭文字 “S” と “I” を取って作られたとされ、これにより完全な7音階が整備されました。
3.「Si」から「Ti」への変化(英語圏)
•英語圏では、19世紀に “Si” を “Ti” と変えた「ティ式唱法(Movable Do)」が普及。
•日本でも近代以降、西洋音楽教育の影響で「ド・レ・ミ…」とともに「シ」の音名が定着しています。
4.アルファベット表記との融合
1.アルファベット表記の起源•西洋の理論書では中世から、トニックをアルファベット大文字(A–G)で示す方法がありました。
•これにより、C–D–E–F–G–A–B の順で音高を示すことが広まりました。
2. ハ長調(C Major)と Do の一致
•ヘックスハルモニアはもともと6音体系でしたが、7音を扱うモダンなダイアトニック音階(長調・短調)が普及。
•長調の基本形としてハ長調(C Major)が最も基本的とされ、その基本音 C が “Do” に対応付けられました。
3.移動ド vs 固定ド
•日本やイタリアなど大陸ヨーロッパでは「固定ド(Fixed Do)」が一般的で、“Do=C” として扱う。
•英米圏では「移動ド(Movable Do)」が多く、“Do” は常に音階の主音を指す概念として用いる。
5.まとめ:多重的進化の結果
•言語的要因:ラテン語 Ut→イタリア語 Do→英語 Ti などが生じた。•教育的要因:グイド・ダレッツォの六音節法、四線譜、ソルフェージュ唱法の展開。
•理論的要因:固定ド(C=Do)と移動ドの対立・併存。
•文化的要因:国ごとの音楽教育法の影響と普及。
これらの要素が重なりあい、西洋音楽の「ド」は最終的にアルファベットの “C” として定着しました。
専門的な話が続きましたが、以上がドがCになった理由として主に語り継がれています。
他にも諸説ありますが、まとめると「その方が都合が良かった」という点に尽きます。
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