エレキギターを開発したのは誰?(レス・ポール、レオ・フェンダー・アドルフ・リッケンバッカー、寺内タケシ)/日本音楽能力検定協会

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日本音楽能力検定協会です。
今回はエレキギターの開発者および歴史について詳しく解説させていただきます。
エレキギターの開発には複数の人物が関わっており、「誰が開発者か」を一人に絞るのは難しいですが、主な開発者として以下の人物たちが挙げられます。
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1.レス・ポール(Les Paul)

•功績:ソリッドボディのエレキギターの先駆者。
•特徴:1940年代に「The Log」というギターを開発。後にギブソン社と共同で有名な「Gibson Les Paul」を制作。
•影響:現代エレキギターの設計に大きな影響を与えました。

レス・ポール(Les Paul、本名:Lester William Polsfuss、1915年6月9日 – 2009年8月13日)は、アメリカのギタリスト、発明家、エンジニアであり、エレクトリック・ギターと録音技術の革命的な発展に多大な貢献をした人物です。彼は音楽と技術の両分野で伝説的な存在として知られています。

基本情報

•名前:レス・ポール(Les Paul)
•生年:1915年6月9日
•没年:2009年8月13日(94歳)
•出身地:アメリカ・ウィスコンシン州
•ジャンル:ジャズ、カントリー、ロックンロール

主な功績

1.ソリッドボディ・エレキギターの開発
•レス・ポールは、1930〜40年代に、現在のエレキギターの原型となる「The Log(ザ・ログ)」というソリッドボディギターを開発。
•これをもとにGibson社と共同で1952年に**「Gibson Les Paul(ギブソン・レスポール)」**モデルが発売され、これはロック史に残る名器となりました。

2.マルチトラック録音の発明
•テープ録音技術を応用し、**マルチトラック録音(多重録音)**を可能にした最初の人物の一人。
•これにより、一人の演奏者が複数の楽器パートを重ねて録音できるようになり、現代の音楽制作の基礎を築きました。

3.エフェクト技術の先駆者
•テープディレイ、フェイザーなどのエフェクト技術の開発・応用にも関わっており、サウンドデザインの可能性を広げました。

ミュージシャンとしての活動

•妻で歌手のメリー・フォード(Mary Ford)とのデュオで1950年代にヒット曲を連発。
•「How High the Moon」や「Vaya Con Dios」などは特に有名。

後世への影響

•ギタリストとしてはエリック・クラプトン、ジミー・ペイジ、ジェフ・ベックなど、数えきれないミュージシャンに影響。
•技術者としては、現代のDAWや録音スタジオの原型を作ったとも言える存在。

受賞歴と栄誉

•グラミー賞特別功労賞受賞
•ロックの殿堂(Rock and Roll Hall of Fame)殿堂入り(1988年)
•技術貢献で複数の特許も保有

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2.レオ・フェンダー(Leo Fender)

•功績:初の量産型ソリッドボディエレキギター「Fender Broadcaster(のちのTelecaster)」を1950年に発売。
•特徴:「Stratocaster」や「Precision Bass」など、多くの定番モデルを設計。
•影響:エレキギターの普及と音楽ジャンルの発展に大きく貢献。

レオ・フェンダー(Leo Fender)は、エレキギターの普及と革新において最も影響力のある人物の一人で、量産型ソリッドボディ・エレキギターの開発者として知られています。彼の設計したギターやベースは、今も世界中のミュージシャンに愛されています。

基本情報

•本名:Clarence Leonidas “Leo” Fender
•生没年:1909年 – 1991年
•出身地:アメリカ・カリフォルニア州アナハイム

主な業績と功績

1.フェンダー・エレクトリック・インストゥルメンツ社の設立(1946年)
•ラジオ修理業からスタートし、アンプやピックアップ技術を開発。
•1946年に楽器専門の会社を立ち上げ、本格的にギターの製作に乗り出す。

2.初の量産型ソリッドボディギター「ブロードキャスター/テレキャスター」発売(1950年)
•木製の一体型ソリッドボディを採用し、ハウリングを防止。
•当時としては革新的な、分解・修理が容易なボルトオンネック構造。
•名前の権利問題で「テレキャスター(Telecaster)」に改名。

3.ストラトキャスター(Stratocaster)の発表(1954年)
•より快適な演奏性と先進的なデザイン。
•3つのシングルコイルピックアップとトレモロユニットを装備。
•ジミ・ヘンドリックス、エリック・クラプトンなどが愛用し、ロックの象徴に。

4.エレクトリックベースの発明:プレシジョンベース(1951年)
•エレキギターと同様の構造で、誰でも簡単に演奏できるベースを設計。
•バンド演奏に革命を起こし、現代のポピュラー音楽の礎を築いた。


5.ジャズベース、ジャガー、ムスタングなどの開発
•それぞれ異なるプレイヤー層や音楽ジャンルをターゲットに設計。
•今でもヴィンテージモデルは高い評価を受けている。

フェンダー社退社とその後

•1965年、フェンダー社をCBSに売却。
•その後、Music ManやG&L(George & Leo)といった新ブランドで再び革新を続けた。

レオ・フェンダーの哲学

レオ本人はギターを弾けなかったが、**技術者として「プレイヤーの声を徹底的に聞く」**姿勢が信頼されていた。
•ギターを「組み立て可能な機械」として捉え、工業製品としての完成度を高めた。



■ 遺産
•今日でもフェンダー社の「ストラト」「テレキャス」「プレベ」「ジャズベ」は多くのアーティストに使われている。
•ロック、ブルース、ジャズ、ファンク、ポップなど、ジャンルを超えて愛されるギターの礎を築いた。

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3.アドルフ・リッケンバッカー(Adolph Rickenbacker)

•功績:世界初の商業用エレキギター「フライング・パン(Frying Pan)」を1930年代に開発。
•特徴:マグネティック・ピックアップを使用。
•影響:エレキギターの原型となる技術を提供。

アドルフ・リッケンバッカー(Adolph Rickenbacker)は、エレキギターの歴史において非常に重要な人物の一人で、1930年代に世界初の商業用エレキギターを開発したことで知られています。以下に詳しく紹介します。

基本情報

•生没年:1886年 – 1976年
•出身地:スイス生まれ、アメリカに移住
•本名:Adolf Rickenbacher(後に英語風にAdolph Rickenbackerと表記される)

主な業績

1.Ro-Pat-In社の共同設立(後のRickenbacker社)
•1931年、発明家ジョージ・ビーチャム(George Beauchamp)とともに「Ro-Pat-In(Electro String Instrument Corporation)」を設立。
•ここで最初のエレキギターを開発・販売する。

2.世界初のエレキギター「フライング・パン」の製造
•正式名:Rickenbacker Electro A-22
•通称:「Frying Pan(フライパン)」
ソリッドボディに近いアルミ製ボディ
マグネティック・ピックアップを搭載
主にスティールギター(膝の上で弾くスタイル)として使用
販売開始:1932年ごろ

3.「エレクトリック楽器」市場の開拓者
•当時、ギターの音量の問題を解決する必要があり、リッケンバッカーとビーチャムの開発は大きな革新でした。
•彼らの技術は後のエレキギター(レス・ポールやフェンダー)の発展の土台となりました。

姓の変更について

•元々は「Rickenbacher」だったが、第一次世界大戦後の反ドイツ感情を背景に、親戚の有名な飛行士エディ・リッケンバッカー(Eddie Rickenbacker)と同様、「Rickenbacker」と改名。

遺産

•今日のRickenbacker社は、ビートルズやザ・フーなど多くのアーティストに愛されてきたギターブランドとして知られています。
•アドルフ本人はエンジニア・起業家として裏方に徹していたものの、音楽史における革命的な技術提供者です。

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寺内タケシ

寺内タケシ(1939年1月17日 – 2021年6月18日)は、日本の音楽界に多大な影響を与えたギタリストであり、作曲家、編曲家、音楽プロダクション経営者、実業家としても活躍しました。その功績は多岐にわたり、以下に主なものを挙げます。 

エレキギターの普及と革新

寺内タケシは、エレキギターの普及に尽力し、「エレキの神様」と称されました。1962年に自身のバンド「寺内タケシとブルージーンズ」を結成し、エレキギターをフィーチャーしたインストゥルメンタル・バンドとして活動を開始しました。彼の演奏スタイルは、三味線の奏法を取り入れた速弾きテクニックや、クラシックから民謡まで多様なジャンルをエレキバンド仕様に編曲する卓越したアレンジ能力に特徴づけられます。 

多彩な音楽活動と代表曲

加山雄三の「夜空の星」や植木等の「遺憾に存じます」といった歌謡曲でもアレンジ・演奏を担当し、エレキが前面に出た独自のサウンドを確立しました。また、1965年にリリースされた「津軽じょんがら節」のアレンジは、彼の代表作の一つとして知られています。

国際的な活動と平和への貢献

音楽を通じて国際的な交流と平和の推進にも貢献しました。1976年にはソビエト連邦での公演を行い、1981年と1984年にも同国でツアーを実施しました。これらの活動が評価され、1981年12月22日には日本国際連合協会から感謝状と国連平和賞を授与され、1984年には文化功労賞と音楽功労賞を受賞しました。

教育活動と若者への影響

エレキギターが一部で否定的に捉えられていた時代、寺内はその風潮に抗い、全国の高校を回って「ハイスクール・コンサート」を開催しました。これにより、若者たちにエレキギターの魅力と音楽の可能性を伝え、多くのギタリストに影響を与えました。 

寺内タケシの生涯と功績は、日本の音楽史において重要な位置を占めています。彼の音楽は今も多くの人々に愛され続けており、その影響は後世にわたって語り継がれることでしょう。

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